2018年11月22日

Gosyuin Traveller 92  B


 すっかりブランクを経ましたが …… 。



 Gosyuin Traveller 『 三浦半島二大霊場 丁酉歳大開帳 』巡り、
逗子エリアへ移動し、漸く六回目終章に至ります ! ────


 5 月 21 日 ( 日 ) 、 15 時 30 分頃、桜山七丁目 バス停でぎゅう詰めバスから
解放され、ホッと人心地ついた私達。
向かった札所は先の田越川のたもとを左折、川沿いを暫く進んだ左手奥 ……



            天台宗 『 六代山 六代御前不動院 』 様


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 祀られているのは小さい質素なお堂と、石段上の欅巨木二本に護られたご墓所。
眠るお方は ── ここら関東、古くは 『 源氏 』 一門が覇権を握った地にして何故か
『 平家 』 の六代嫡孫 『 平高清 』 ( 通称 ・ 六代御前 )公におわすのです。
これは歴史の授業でも聞いたことのなかった、 『 平家 』 一門終焉の真実。
巡拝のご縁を得るまで、まるで知るよしもありませんでした !!


 世に 「 奢る平氏も久しからず …… 」 と語られた一門は 『 平清盛 』 御大没後の
元暦二年 ( 1185 年 ) 『 壇之浦の合戦 』にて滅亡、とされますね。
されどその時、何故か最後の嫡孫が生き残っておられたとは !?

 そもそも 『 平家 』 と言えば、代名詞的 『 清盛 』 公は三代目、続く温厚沈着な嫡子
『 重盛 』 公が四代、その嫡男が五代 『 維盛 』 公となります。
…… って、えぇッ ? あの 『 維盛 』 サマ ? …… 平安切っての名高き “ 美形公卿 ” !??
当時最強権威だった 『 後白河上皇 』 様五十歳の祝賀、舞楽 『 静海波 』 を献じた舞い姿
── 烏帽子に桜と梅の枝を挿した十七歳の艶姿は 『 桜梅少将 』 と謳われ、
「 青色の上のきぬ、素襖の上の袴に映えたる顔の色、面もち、気色、あたりに匂ひ満ち、
見る人ただならず …… 」 「 容願美麗、尤も嘆美するに足る 」 と史書にも記されています。
また 「 今昔見る中にためしもなき ( 美貌 ) 」 と 『 光源氏 』 にすら準えられ …… ?

 往時 “ 平家の公達 ” は皆美形揃いと云われましたが、それは権力にモノを言わせ美女を
娶り、成した子に更に “ 美しい ” 配偶者をあてがい …… という循環の賜物。
就中 『 維盛 』 公を父に、更には 『 芙蓉の殿上人 』 と噂の大納言 『 藤原成親 』 卿の
娘を母として産まれたのが、まさしく六代 『 高清 』 公だったのです。
よもや 『 平氏 』 一門最後のお一人として波乱の行く末など、夢にも知らず ──

 しかし運命は非情 !!
永寿二年 ( 1183 年 ) 、朝敵となり一族と都落ちする父 『 維盛 』 公に留められた
『 高清 』 公は、母君 ・ 妹君と共に京に残って潜伏。
が、やがては “ 平家嫡孫 ” と知られて、鎌倉 ・ 『 源頼朝 』 公の許へ護送の定めとなります。
 ところが、そこを取りなしたのが高雄山神護寺の名僧『 文覚上人 』 。
ここで時を遡りますと、 嘗て幼き 『 源頼朝 』 公が 『 平清盛 』 の前へ引き出された折、
正妻 『 平時子 』 殿の口添えにより助命された経緯がありました ( 有名ですよね ! ) 。
かの時の温情を訴えて、 『 文覚 』 は曾孫 『 高清 』 公の助命を嘆願したのです。
東国にあった 『 頼朝 』 公も流石にほだされたとみえ、『 高清 』 公を 『 文覚 』 の元で
出家させ( 『 妙覚 』 と名も変え ) 修行の身として高雄へ封ずる約を以て、命を助けた
のでした。 『 妙覚 』 十二歳程のことでした。

 以来ひっそり隠遁していた 『 妙覚 』 を、再び逆風が襲ったのは建久九年( 1198 年 ) 。
折悪しく師 『 文覚上人 』 に謀反の嫌疑が掛かり、流罪 !
後ろ盾を失った 『 妙覚 』 も諸共に罪を被り、相模 ・ 田越川の畔で遂に斬罪になったと
云われています。
齢 二十六、七歳。 秀麗聡明な若沙弥であられたでしょう。
 この時鎌倉方に 『 頼朝 』 公は亡く、実権は舅 ・ 『 北条時政 』 公に。
その脳裏には、先の 『 頼朝 』 公を生き長らえさせた結果、滅ぼされた 『 平清盛 』 の
“ 大失態 ” が焼き付いていたのであろう、と推されます。
温情の綻びが僅かであっても、将来 “ かたき ” となるべき禍根を、当時の武人が冷徹に排除
したのは当然のこと。
当時を生きた 『 妙覚 = 六代 ・ 高清 』 公の、定めとしか言いようがありません。


 然るに、悲運の若き貴人を悼んだ土地の民が 『 六代御前 ( 六代目のやんごとなき方 ) 』
と慕い、辺りの川を 『 御最後川 』 と呼び慣わして偲んだ、との口伝が胸を打ちます。
小堂は 『 大聖不動明王 』 様をご本尊に祀り、現在も 『 桜山氏子会 』 様の管理が続いて
いる由。
また、この度の 『 大開帳 』 で 『 三浦薬師霊場 』 の初番札所 『 神武寺 』 様が別当として、
ご供養に当たられるそうです。 巡拝初日が思い出されました。


 「 よもや !? 」 なご由緒を偲びつつ、合掌 ・ 参拝。


          拝受の御朱印は ……


               『 三浦不動尊霊場 』 第二十六番

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           札所本尊様、世話人様、ありがとうございました !!


 偶さかに鎌倉間近に住んで、三浦へ至る深い歴史の跡を辿れるご縁、ただならぬ感慨ですね。




 それでは、逗子 駅方向へ進みながら、この日最終の札所へ向かいましょう。
徒歩圏内のこちら、



            高野山真言宗 『 黄雲山 地蔵密院 延命寺 』 様


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 以前もお参りさせていただいた古刹様。 いつも丁寧なご対応に和みます。
寺務所側から上がらせていただく 『 本堂 』 が誠に堂々と立派で、それでいて
何びとをも穏やかに受け入れて下さりそうな親しさ ・ 優しさに満ちています。
一日の巡拝に些か疲れた心身を癒やされるようでした。

 ご本尊 『 大日如来 』 様、元 『 亀岡八幡宮 』 のご神体 『 阿弥陀三尊 』 様、
当札所本尊 『 不動明王 』 様、そして 『 弘法大師 』 様、皆様へ合掌 ・ 参拝。


 寺務所受付で拝受の御朱印は、


              『 三浦不動尊霊場 』 第二十八番

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  ご本尊様、札所本尊様、諸尊さま、ご住職様、ご寺族様、ありがとうございます!!



   帰途、本堂前でも 『 弘法大師 』 様、四郎犬君、九郎犬君に忘れずご挨拶 ♪♪


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 なお、この巡拝中に度々触れてきた相模の猛勇 『 三浦道寸 』 公のゆかり ── 弟殿の
『 三浦道香 』 公が連戦の末、終焉を迎えた地とし、境内にお守りされた “ 主従 ” 七基の
ご墓所へ合掌。

 他 『 湘南七福神 』 の 『 厨子弁財天 』 様へもご挨拶し、 16 時 10 分頃おいとました
『 延命寺 』 様でした。



 
 それでは JR 逗子駅から、 16 時 26 分発の横須賀線で帰りましょう。
いゃいゃ、行楽シーズン ( ? ) の日曜ってこんなにィ〜〜 ?? ッて位、 鎌倉から
大混雑な上り電車でした !! ( 大汗 )




posted by 美緒ママ at 02:27| Comment(0) | 癒やし処 | 更新情報をチェックする
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