11 月 4 日の 『 建長寺 』 レポ、続きです !
『 半僧坊 』 から下りては、行きに見過ごした遺跡、石造物、諸塔頭などを巡りました。
まず代表的なのが 『 河村瑞賢の墓 』。
『 河村瑞賢遺跡登り口 』 とあり ↓↓↓

暫く上った高台に、江戸期の豪商・海運業 『 河村瑞賢 』 氏と子息の 『 河村通顕 』 氏の
墓所が祀られています。

追悼碑・顕彰之碑が有り、敬われた様子はわかるものの、そんな著名人がなぜこのような寂しい
場所に眠るのか ? …… と不思議です。
嘗てこのあたりに住居を構えていた、との情報はありますが。

次に戻り道に現れて来たのは、 『 虫塚 』 という一角です。

解剖学者 『 養老孟司 』 氏の構想による、石や金属を使ったオブジェ群とのこと。
静かな竹林の中に不思議な気配です …… 。
さてそれから回ったのは、塔頭あちこち。
“ 塔頭 ” とは、そもそも美緒ママ一番の “ ソソられワード ” なので、概ね 「 一般拝観不可 」
なのはわかっていてもチラ見してみた〜い !!
『 天津山 正続院 』 様 ―― 天皇家御出身の 『 高峰顕日 仏国禅師 』 様の塔所。


『 雲閑山 天源院 』 様 ―― 『 南浦紹明 大応国師 』 様塔所。




そんな中、こちら 『 蓬莱山 龍峰院 』 様 (『 約翁徳儉 仏燈大光国師 』 様塔所 ) 、


及び 『 若昇山 妙高院 』 様( 『 肯山聞悟 』 様塔所 ) は、


“ 観音霊場巡礼者 ” に限り ( w / 納経 or 読経にて ) 、入山が許される由。
次回是非是非チャレンジ !!
そろそろおいとましましょう、とゆー段になって …… 。
茶緒パパの提案で、 “ 山外塔頭 ” に当たる道向かいの 『 新居山 円応寺 』様へ。



こちらは 『 閻魔大王 』 のご本尊で有名ですね。
謹んで拝観し、由来をしっかり学びました。
御朱印は、ご本尊様 ( を含む 『 十王 』 ) 『 鎌倉二十四地蔵霊場 』 第八番
『 鎌倉十三佛 』 第五番でした。
ところで、並びにある 『 長寿寺 』 様は公開日限定 ( 金土日・雨天除く ) のため、
機会を改めます。
やや夕方めいて来た鎌倉街道を離れ、今日の打ち止めを建長寺派 『 明月院 』 様にしました。
御朱印所が 15 時半頃まで、と耳にしたので、取り急ぎサラッとお参り。

『 北条時頼廟所 』



『 宗猷堂 ( 開山堂 ) 』



『 瓶の井戸 』

『 紫陽花 』が無くては、ただの瀟洒なお寺ですかね ( 失礼 ! ) 。

御朱印は 『 鎌倉三十三観音霊場 』 第三十番を拝受しましました。
帰路、折から 『 K 学園 』 『 K K 女子学園 』 の学生らの下校集団に混ざって、
16 時過ぎ 『 北鎌倉 』 駅発。
16 時 11 分 『 大船 』 乗り換えで、15 分頃には最寄り駅に帰着したのでした。