2015年03月21日

白罌粟忌




   白罌粟に羽もぐ蝶の形見かな          芭蕉



 俳聖 『 芭蕉 』 を語る上で最もエポック・メイキングなひとつ ―― それは名古屋での
“ 蕉風確立 ” でしょう。
その背景に欠くことの出来ないのが、尾張蕉門の立役者となった名古屋の若手俳人たちの
活躍であります。
後に様々な確執等から、袖を分かつ運命となったりするのですが …… 。

 掲出句は、幾人もの鋭才を輩出した尾張俳壇中で、特別に目を掛けられた一弟子へ、
師 『 芭蕉 』 が送った惜別です。
相手は名古屋の豪商 ―― 米穀問屋 『 壷屋 』 の若当主 『 坪井庄兵衛 』 。
『 杜國 』 と号した彼に、

「 白罌粟 ( のような君 ) に別れがたく、蝶 ( 私 ) は羽を一枚もいで形見において
ゆくから。これを私だと思っておくれ ! 」

…… だなんて …… 何なの ? このただならぬ空気 !? ( だいたい季感だって間違って
るしッ ! )

 片や杜國さんも後に、この時の想いを句に詠んでいるような …… ( たぶん ? ) 。



   このごろの氷ふみ割る名残かな          杜國
 


「 お師匠さまのご出立をお送りし、お別れしてからの淋しさに、虚しく氷を踏み割る
ばかりです 」
と、肩を落とす初々しい若旦那の姿が見えるようではありませんか !

 俊才と器量と、女にしたい程の美貌 ( …… マジかァ !? ) を持ち合わせた若衆に、
忽ち芭蕉が惚れ込んだのは無理からぬこと。
杜國は後年、 「 翁 ( = 芭蕉 ) の 愛弟子なるに …… 云々 」 と高弟たちの間でも公言
される存在となります。
大師匠の “ 愛 ” 弟子という、特別な関係を含めて認められていながら、しかし元禄3年
( 1690年 ) 3月20日、 彼は ( 推定数え三十四歳という若さで ) 世を去って
しまうのでした。
日付は陰暦ですから、或いはきらめく初夏の候だったかもしれませんが …… 。

 豪壮な大だなの若当主の身に罪を得て、 “ 家土地没収・所払い ” という奈落へ一気に
突き落とされた運命。
当時、元禄時代初期の日本で、さぞかし地の果てだったであろう 『 知多半島 』 ――
伊良湖崎・保美にその配所跡が残されているとか。

 晩年、帰ることの許されぬ名古屋を望郷した句の、哀切で美しいこと !!



   春ながら名古屋には似ぬ空の色          野仁 ( 杜國 別号 )



 いつかきっと訪ねてみたい、杜國さんの足跡なのでした。




   初花にあくがれ出づる杜國の忌          かいう

   煩悩の初花寒き白罌粟忌

   鎌倉に柳青める白罌粟忌

   杜國忌や吾には遠き詩のミューズ




posted by 美緒ママ at 01:37| Comment(0) | 俳句 | 更新情報をチェックする
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