2014年07月02日

またお参り


 7月2日 ( 水 ) 夕方、買い物がてらのお散歩。
先日の一部逆行して、また 『 皇女御前神社 』 へお参りして来ました。

 どうも不思議に気になり始めたこの神社 …… とゆーか、ご祭神の 『 照玉姫 』 さま。
どんなお方だったのだろう?と、調べるも不明。
ならば、とご夫君 『 葛原親王 』 さまサイドからお調べしたところ …… 。

 Wikipedia によると、 『 葛原親王 ( かずらわらしんのう ) 』 は平安時代初期の皇族。
『 桓武天皇 』 の第三皇子で、延暦5年11月7日 ( 西暦786年12月1日 )生 〜 仁寿3年
6月4日 ( 853年7月13日 )没。母は 『 多治比真宗 ( 貞子 ) 』 。
桓武平氏 ” の祖となられました。
幼少から俊秀、学問にも政務にも優れて朝廷で重んじられ、皇族としても最高位の一品に叙せられた
とか。
且つ人となりは恭しく慎み深く、驕り高ぶるところがなかった、と伝えられます。
子女は男子三人。配偶者は 『 新羅 』 の 『 景文王 』 の次女 『 金寧橋橋姫 』 が記されて
いますが、正室としては不詳。

 以上の記録に 『 照玉姫 』 に関する記載はありませんでした。
あるいは、不詳たる 正室 ” か ?
皇妃 ” との呼び方、亡くなった折の 薨去 ” とゆー表現から、相当高位の方にも思われます。
早世の正室でいらしたのかもしれませんが、そうしたお立場で、東国へ下る困難な旅に態々同行
されるか ? ―― という疑問も生じますし。

 古代史へのプロファイリングって、ホ〜ント謎と浪漫に溢れていますね !!




posted by 美緒ママ at 23:24| Comment(0) | 歴史 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: