2014年06月30日

地元のお散歩


 日曜の夕方、梅雨空の雨催いが過ぎたのを見計らって、茶緒パパと 買い物 ” 兼 お散歩 ”
に出ました。
最終目的地のスーパー・マーケットをぐるっと大回りして、 『 いたち川・川辺の道 』 から隣町・
公田町界隈の裏道を巡るルート。

 『 いたち川 』 畔の遊歩道路はもとより、地元の WAN 散歩のメッカですから。
我が家も嘗て、散々歩き回りましたよ〜。

 先代ビアディー 『 美緒 』 の休憩 & 寛ぎスポットでもあった岸辺 …… 。

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 その川沿いから坂を上り、裏道の住宅地へまわれば、その辺りも嘗て 『 美緒 』 と、茶緒パパ
がよく歩いたルートだそうです。
ところが、入り組んだ細道をぬってみると思わぬ案内板が !
「 『 皇女御前神社 』 前 」
脇の角を曲がって、見知らぬ景色に行き当たりました。
それは、石の鳥居と小さなお社。
こんな鄙マレな “ 祀り処 ” …… 何やら訳ありげな ?

 しかし嫁ぎ来た界隈の郷土史を、美緒ママ、浅学にして覚えなく、まして地元人の茶緒パパ
さえ、過去の散策ながら名称しか知らぬ史跡だったのです。

 「 えぇ〜 ? ここだったのかー ! 」 とパパ。
住宅地のはざまの、とても意外な場所。
さりながら由緒書きには、とんでもなく古い歴史が謳われています。

 曰わく ―― 天長元年 ( 西暦824年 ) 、平安時代初期のこと。
桓武天皇の第三皇子 『 葛原親王 』 が東国へ下った折、同行した皇妃 『 照玉姫 』 が当地で
病を得てしまいました。
そのため留まり療養し回復したのですが、不幸にも再発し9月28日に薨去しました。
すると慕っていた里人たちが悲しみ、現・社後方の丘の “ 塚 ” に葬り、 『 皇の御前塚 ( or
女ろう塚 ) 』 と呼びました。 ( そこは、現在共同墓地となっていますが )
 下って、文禄元年 ( 1592年 ) 2月初旬、僧 『 信永 』 が当地に社を建て 『 照玉姫 』 の
霊を勧進したと云います。
 なお後に明治の合祀の期間を経ながら、昭和になって篤志の氏子諸氏により社が再建され、
今に至っても敬われています。

 …… という、夢の如き遥かな昔の由緒ながら、実際社域はキレイに手入れされているよう
でした。
この日私たちが訪ね当たったのもご縁と思い、お参りさせて貰いました。



 嘗ての WAN 散歩が、こんな歴史の一幕の傍らを知らず通り過ぎていたのですね …… 。




posted by 美緒ママ at 22:24| Comment(0) | ビアディー | 更新情報をチェックする